長國寺を知る

長國寺を知る

天文16(1547)年、信濃国の在地領主であった真田幸隆が、畏敬する伝為晃運(でんいこううん)禅師を開山第一世に招き、一族の菩提寺として松尾城内に「真田山長谷寺(しんでんざんちょうこくじ)」を建立しました。その後、永禄7(1564)年に松尾城外へと移され、本格的な禅寺として諸施設を整えました。江戸幕府が開かれると、幸隆の孫にあたる真田信之は上田藩主となりますが、元和8(1622)年の松代移封にともなって現在の場所へと移転し、寺号も「長國寺」(國は国の旧字体)と改めて、今日にいたっています。

宗派 曹洞宗(そうとうしゅう)
山号 真田山(しんでんざん)
寺号 長國寺(ちょうこくじ)
創立 天文16(1547)年
御開山 伝為晃運(でんいこううん)
開基 真田幸隆(さなだゆきたか)
御本尊 釈迦牟尼仏
長國寺を知る

真田家の菩提寺

真田家の菩提寺として創建され、歴代松代藩主の墓所でもあった長國寺には、真田一族ゆかりの寺宝が数多く残っています。
長國寺と最も深い縁で結ばれた真田家の人物が、初代松代藩主であった真田信之です。講談や小説で英雄的に描かれた父・昌幸や弟・信繁(幸村)の影に隠れてしまいがちですが、戦乱の世で真田家を守り抜き、明治まで続く松代藩真田家の礎を築いた真田家最大の功労者といえるでしょう。
明治5(1872)年の大火での焼失を免れた「初代松代藩主真田信之公の霊廟」は、往時の真田家の繁栄を彷彿とさせるきらびやかな造りで、国指定重要文化財に指定されています。霊廟の裏手にある歴代藩主の墓所は、大名の墓としては決して宏壮なものではありませんが、真田家300年の歴史を語るように静寂な佇まいを見せてくれます。

信州の曹洞宗の中核として

長國寺は、開創以来一貫して「参禅学道」を志す禅僧たちの淵叢として知られており、松代に移転して間もない代のときに幕府宗教行政の一翼を担う官職「僧録」に補せられました。以来、江戸時代を通して信州一国の曹洞宗寺院一千ヵ寺を管理統括し、信州の曹洞宗の中核として歩みを進めてまいりました。現在は一般の方を対象とした坐禅、禅学等に親しむ集いも随時開催しています。

信州の曹洞宗の中核として

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