長國寺を知る

伽藍・文化財のご紹介

長國寺の伽藍・文化財をご紹介します。

本堂
本堂
棟にあしらわれた六文銭と、海津城から移設した身の丈1mのしゃちほこが印象的な本堂です。何度か大火にあっており、現在の本堂は明治19(1886)年に再建されたものです。
庫院
庫院
寺院の厨房・僧房をかねた建物です。
明治5年(1872)に焼失したため、古い図の通りに平成5年(1993)に再建されました。
初代真田信之公御霊屋
初代藩主真田信之公御霊屋
万治3(1660)年に建立された、松代藩祖・真田信之の御霊屋(おたまや)です。
桁行3間、梁間4間の入母屋造り平入り、屋根は柿葺き(こけらぶき)の壮麗な建築です。いたるところに透かし彫りや丸彫りが施され、なかでも正面の唐破風の雌雄の鶴は左甚五郎作と伝えられています。内部の格天井には狩野探幽筆と伝わる天井画、奥に禅宗様仏壇を据え、現在は信之公と小松姫御夫妻の位碑を安置しています。国指定重要文化財に指定されています。
四代真田信弘公御霊屋
四代真田信弘公御霊屋
真田信之御霊屋の南隣に並ぶ、四代・信弘の御霊屋(おたまや)です。
建立は元文元(1736)年。方三間の宝形造り、柿葺き、装飾は唐草の透かし彫りだけと、信之御霊屋に比べると簡素な造りになっています。県宝に指定されており、現在は歴代藩夫人らの位牌が安置されています。
格天井
格天井
信之公御霊屋の内陣の格天井に施された天井画は、狩野探幽の筆と伝えられています。
開山堂
開山堂
もとは三代真田幸道公のために享保12(1727)年に建てられた御霊屋です。明治5年(1872)に同寺が伽藍諸堂を焼失したため、同19年(1886)本堂再建の際、この霊屋を現在の場所に移築して開山堂としたものです。
堂は方三間の宝形造、桟瓦葺。肘木などの細部には見事な細工が残っており、長野県宝に指定されています。
真田家墓所
真田家墓所
松代藩祖・初代真田信之から十代にわたる真田家歴代の墓所です。
御霊屋の後方のおよそ800m2ほど、白土塀に囲まれた崇厳な霊域です。宝篋印塔(ほうきょういんとう)21基、地蔵型碑2基の墓碑とほか12基の献灯が並んでいます。
また、信之の弟、幸村とその子、幸昌(大助)の供養碑も建てられています。
真田幸村父子の供養碑
真田幸村父子の供養碑
真田家墓所の一画にひっそりとたたずむ、真田信繁(幸村)とその子、幸昌(大助)の供養碑です。
江戸時代中は徳川家と敵対した幸村親子ゆかりの碑を建てることは無理だったので、大正3(1914)年になり、十一代当主・真田幸正によって建立されました。
恩田木工民親の墓
恩田木工民親の墓
松代藩六代藩主・真田幸弘の時代に藩政改革を行い、宝暦12(1762)年に46歳で没した恩田木工民親の墓所です。
倹約や正直を奨励した民親らしい質素な造りです。民親の業績は「日暮硯」で広く知られています。
総門
総門
鐘楼
鐘楼
寛文元(1661)年に建立され、何度かの大火を免れた貴重な鐘楼です。

昔の長國寺

明治5年の火災で、五字の霊廟と宝蔵を除く、主要な建造物のすべてを焼失するまでの長國寺は、本堂・開山堂・玄関・庫院・大方丈・小方丈・僧堂・衆寮・浴司・経蔵・鐘楼・総門・山門・回廊・五字の霊廟とそれぞれの門・塔頭五院等、30余棟におよぶ大小の伽藍が、一万坪の境内地に甍をつらねていました。

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